勝連城
琉球は戦で鉄砲を使用することが、大和国より100年以上も早かった事が、殆どの人々が分からないであろうと思う。
琉球では、中国伝来の三眼銃が戦で使われていた。
銃と言っても、銃弾は鉛等の金属ではなく石弾であった。
ヨーロッパでは、銃身手法・琉球では火屋(ヒヤー)と呼ばれた。
ヒヤーは銅や鉄で作られた古い形式の銃で石弾を3連続発射出来た。
ここ勝連城で1458年に中山軍が攻めた際に、ヒヤーが使われたという。織田信長が1575年長篠の戦いのつるべ撃ちのおよそ120年前の出来事である。
月間沖縄社の
琉球王国の歴史を参考にさせて頂きました。