昨日の早朝、(9月24日)妻は早く目が覚めていた。
確かAM5:30には起床していました。
私はいつも通り6:20に起床して仕事の支度をしておりました。
すると妻がお腹が張り始めていると言いました。
その時はいつもの事と思い気に留めませんでした。
私は朝のシャワーを入り、着替えをしてさあ仕事へGOの時に「待って」
と言いました。軽い陣痛の始まりでした。
そこで私は前々から上司には話をしていましたので、職場へ電話を入れて年休を頂きました。
沖縄県立中部病院へ朝の9:00に行きました。
早速妻は分娩室のとなりの部屋へ入院状態でした。私が分娩室の隣の部屋に来たのが,AM10:00でした。
5分置きに陣痛が来る状態でした。
陣痛がくる時に妻の背中を押して上げました。
私は妻の痛みを少しでも和らげようと、朝ご飯・昼ごはんを食べるのを忘れていました。途中水分補給と玄米をさっと飲みました。
私の予想で、昼3:00頃出産と思っていたのですが、予想が外れました。
昨日の24日は、海での潮の満潮が16:29でしたので、その時間前後には生まれると思っていました。見事外れました。
もちろん、私は医者の診察以外は陣痛に合わせてずーっと妻の腰マッサージです。妻子のためですので少々指がきつかったですが、我慢してそれに励むことが出来ました。
私は妻に言いました。PM8:00までには出産が出来るはずだと。
そして長期戦で、妻の呼吸法とマッサージを合わせて頑張っていました。
ところがPM8:00を過ぎて、子宮部の割け具合は進んでいますが出産とまでは行きませんでした。それから1時間後のpm9:00妻はだんだん時間をきにする様になり、痛さから逃れたいため焦り始めました。
「お腹がいたーい、何時になれば生めるの?」と言い出す様になりました。私は落ち着かせるために呼吸法を妻と一緒に実践しました。
入院から12時間が過ぎ夜の10:00頃、妻が「痛い・痛い・痛い」と錯乱状態に陥っておりましたが、背中をさすったり、マッサージをしたりして落ち着かせました。
しかし陣痛の波が来るたび妻は「先生お願いお腹を切って!」と訴える様になりました。私はしばらくは落ち着かせておりましたが、そろそろ妻の体力の限界を悟り、私からも医者の先生に帝王切開を打診しました。
一人の医者は、「外科の方が3件待ちで無理です。」と言いました。
私は妻が錯乱状態になっている事と、体力の限界のため別の病院への救急の事を頭の中で考えておりました。
私は、心の中で「妻と息子を絶対救う」と心に誓いました。
私が他の医者へ妻が日頃の体力のなさを説明しました。
それと妻の性格上、かなり臆病である事を説明しました。
既に痛みの陣痛から15時間が経過、妻の魂の叫び「痛い、お願いお腹を切って!!」と私が妻の命を救いたいと言う医者達への説得が開始されました。
時間は既にPM11:15、当直の一番偉い医者が来ました。
その医者が妻の精神状態の限界、体力の限界を感じたのか外科医と緊急調整を行うの言葉に、涙がでそうな位感謝の気持ちになりました。
PM11:30、一番偉い医者がAM12:00に外科の手術室へ搬送すると言いました。
その時、妻は「痛い・痛い・痛い~」っと大きな声で叫んでいます。
血圧はかなり上がり危険な状態だったと思います。
妻を落ち着かせながら、背中をさすり腰のマッサージをしました。
看護士・医者達も声をだして妻を励ましていました。
手術室へ搬送して、私は妻と別れました。
あとは医者を信じる事にして、待合室で待機しました。
待合室で待つ事1時間、AM1:00看護士が来て「男の子無事出産です!」の連絡が来ました。
私が妻は大丈夫ですか?と尋ねると何も連絡が来なければ大丈夫ですよ!と言っておりました。
それから約1時間15分後のAM2:15、「奥さんは無事手術完了です」
の連絡が来ました。
妻と息子と私と中部病院の職員の壮絶な戦いが終了しました。
新生児室で息子を抱っこした時、息子がニコっと笑いました。
これまでの全ての疲れが和らぎました。
息子を抱っこした後に妻の部屋へ行きました。
妻が私の長時間のマッサージ・背中のさすり・励ましの言葉に「ありがとう」と言ってくれました。
女性は子供を生むのに命がけである事が痛感させられました。
※睡眠不足で思考能力が低下しておりますが、どう表現したら良いか分かりませんが、沖縄県立 中部病院の職員の皆さん、本当にありがとうございました。
中部病院の皆さんは、私達さくー家の命の恩人です。(ペコ)